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福岡高等裁判所 昭和24年(つ)387号 判決

被告人

中岡鉄次

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

弁護人淸水正雄の控訴趣意第一の(イ)の点について、

原審第一回公判調書には、被告人が公判廷において身体の拘束を受けなかつたことの記載がなく、單に「被告人は公判廷において公判を開廷した」旨の文意不明な記載が存するのみであつて、当時未決勾留中であつた被告人が果して公判廷において身体の拘束を受けなかつたか否か右公判調書の記載のみでは判然しないわけである。而して、刑事訴訟法第二百八十七條等の規定に徴すれば、公判廷において被告人の身体を拘束したか否かは公判手続における重要な事項に属し之を公判調書に明記することが望ましいことには相違ないけれども、同法第四十八條第二項を受けて規定された同法施行規則第四十四條は被告人が公判廷で身体の拘束を受けたか否かの点を公判調書の必要的記載事項とはしていないから、公判調書に右拘束の有無に関する記載がないからと言つて、そのことを以て訴訟手続上法令の違反があつたものと言ふことは出來ない、問題は、事実上被告人の身体が拘束を受けたか否かの点に存するが刑訴法第五十二條に照し公判調書に記載されていない事項については、公判調書以外の資料による推定或は証明を許すものと解せられるところ、多数関係人の立会関與するところの、公開の公判廷で被告人が違法な身体の拘束を受けることは到底考え得られない事柄であるのみならず事実我が國の公判に於ては、此の点についての法の規定を忠実に実行しているのであつて、公判調書に被告人の身体を拘束しなかつた旨の記載がないからと言つて、直ちにその身体の拘束があつたものだと断定すべきでないし、反つて身体の拘束があつたことの証明がない限りその拘束はなかつたものと認むべきである。本件では被告人が原審の各公判廷において身体の拘束を受けたことを認むべき何等の証左もないのみならず当公廷における被告人の供述によれば、その拘束を受けなかつたことが明かであるから結局右第一の(イ)の論旨はその理由がない。

同第一の(ロ)の点について。

原審第一回公判調書の記載によれば、「檢察官は被告人に対し証拠調の申請をする前に左記書面を証拠とすることの同意を求めた、一、現行犯人逮捕手続書、二、被害者供述調書二通、三、差押調書、四、仮下請書二通、五、身上申立書、六、被告人供述調書。

被告人は右各書面を証拠とすることに同意すると述べた」と言うのであつて、檢察官が右書類の提出につき弁護人の同意を求め、或は弁護人において右書面を証拠とすることに同意を與えたことは之を積極的に認め難いこと所論の通りであるけれども、右掲記の各書類は刑事訴訟法第三百二十六條第一項により被告人の同意があれば同條所定の制限の下に之を証拠とすることが出來るのであつて、更に弁護人の同意を求め或はその同意を得ることは法令上必要とされていない。尤も被告人の中には法律上の智識乏しく、いわんや右刑訴第三百二十六條所定の同意権行使の意義やその重要性を未だよく辨えない者が多いであろう(從つて訴訟の指揮に当る裁判官には、その間によく意を用いて、被告人に過誤なからしめる樣に措置すべきことは勿論である)けれども、被告人に弁護人が有るときには、その弁護人に於て被告人が右同意権を行使するにつき過ちなき樣に注意し指導し得る譯であり、又左樣にするのが弁護人の職責でもある。であるからして刑訴法は右第三百二十六條に於て別に弁護人の同意を必要とせず、單に被告人のみの同意を以て足るものとしたのであろう。此の点に関し、原審の措置を難じその違法を主張する弁護人の論旨は、畢竟独自の見解は出づるものであつて、当裁判所としては之を採用するわけに行かない。

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